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どん底のまま推移した暗黒の時代
「ある時期まで、私は一生、日陰を歩くんだと思っていました(笑)」突然の災いや時代の流れによって、自分の意志とは関係なく人生の方向が変わっていくことがある。若林さんのこれまでの軌跡には、そんな経験が随所にある。「まずは、父の会社の倒産ですね。そこで、看護師の夢も大学進学もあきらめざるを得なくて。気落ちしていたら、兄がどんな仕事に就こうと、その世界でトップになれた人が成功者だと思うって励ましてくれたんです」
そこから気持ちを切り替え、とりあえずお金を稼ぐために職種を問わず就職。たまたま投資顧問会社に事務職として入社したが、電話の応対が営業向きと判断され、半強制的に配置転換されたという。「株のことなど全然わからず、泣く泣く営業を始めたんですが、本を読んで勉強してもまったく理解できなくて。見かねた同僚が株を買ってみたらと勧めてくれたんです。1回の体験で、株とはこういうものか!と目の前が開けて。そこからのめり込みましたね」
ただ、当時97、98年ごろは、バブル崩壊からの余波で株式市場にとっては厳しい時代。株に係わっているだけで偏見の目で見られたという。「父の倒産で落ち込み、時代にも嫌われ、私の人生は日の目を見ないなって」。それでも、好きになった株は、後ろ指を差されながらも一生やっていこうと決意。そこに、ほどなく吹いてきたのがITバブルの風だった。
時代に必要とされるほど仕事への姿勢は真摯に
「それまで株式市場は暗黒の時代でしたが、これを機にポピュラーになってきて。以前は後ろ指を差していた人までがお金預けるから2倍に増やしてよとか(笑)。」
しかし、その上昇気流に浮き足立つことなく、ステップアップする努力をした若林さん。「本を読んだりして、1から勉強し直しました。株について聞かれることが増えてきて、これはしっかりした知識がないと教えられないなと思って。会社を辞めて独立し、ラジオにレギュラー出演し始めたことも大きかったですね。コメンテーターなのに番組後、プロデューサーによく叱られました。話し方や言葉使いなど、細かい部分まで指摘されましたね」
しかし、その叱責をバネにして奮起。証券業界の専門用語をわかりやすく伝える技術や、説得力のあるトークを必死で身につけた。今では「辛かったけど、いろいろと教えてくれたプロデュサーには心から感謝しています」という。「不遇の時も調子がいい時も、何か場を与えられたなら100%を目指したいんです。実は、夜な夜なできなかった自分を責めて眠れなくなるタイプ。そういう後悔をするのがイヤなんです」
全力で取り組む姿勢と周囲の励ましをプラスにできる柔軟な心が、支えになってきたようだ。
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