|

自分の道を自分で選ぶため
決まっていた進路を変更
独自の手法によるアート作品が注目され、ジャンルを越えて縦横無尽に活躍する清川さん。キリン「アルカリイオンの水」などの広告、「流行通信」での連載、木村カエラのCDジャケットなど、それと気づかぬうちに作品を目にしている人も多いだろう。マルチな才能を発揮する清川さんだが、ここに至るまでの転機といえば。
「高校卒業後、生まれ育った淡路島を離れて、東京に出たことですね。はじめは関西の美大に進もうと思っていたのですが……」
幼いころから絵の成績がよかったため、ご両親の勧めに従って美術の教師を目指していたという。
「でも、絵ではなく、もっと自分にしかできない表現を見つけたかったんです。そのためにも、自分の道は自分で選びたいと思って」 直前に進路を変更。東京に出ることに決め、美術の教師が勧める文化服装学院に進学することに。
「淡路島はもちろん、関西は人がやさしい土地なので、いつもだれかに助けられてしまう気がして。なにかを考えるには、もっと孤独にならなければと東京行きを決意し、そのために先生が勧める学校に進学を決めました。自分がこだわらない部分は流れに身をまかせた方が、面白い化学反応が起きるかもという期待もあったんです」
そして、東京暮らしを始めた初日。当時はストリートカルチャーの全盛期で、とりあえず原宿に行った清川さん。そこで、ある雑誌の読者モデルにスカウトされ、生活が一変。何誌もの読者モデルをこなすようになり、忙しくも楽しい毎日に。卒業後はアート作品の制作活動をしながらモデルを続けるつもりで、エージェンシーも決めていたという。が、卒業という節目で、またも転機が訪れる。
追い込まれたことで自分のスタイルを発見
「卒業制作で追い込まれていたときに、ふと思いついたんです」
それが布とミシンを使って絵を描く手法。パッチワークでもコラージュでもない斬新な創作スタイルが話題となり、個展に作品集の出版など、一躍脚光を浴びることに。以来、モデル事務所は約1年で辞め、制作活動に集中。アーティスト、アートディレクター、衣装や空間のデザイナーなど仕事の幅を広げてきた。しかし、その核となる思いはひとつ。「人の心が揺れるような、だれも見たことのないものを創りたい」ということ。
「こんな肩書きの人になりたいという願望はなく、走り続けたらこうなったという感じです。今、これまでの制作活動をやっと振り返ることができ、来年には新作も含めた7年間の集大成作品集を出す予定。それにあたって自分のこれまでと、これからをものすごく考えている今が、いちばんのターニングポイントかもしれません」
またも節目にあたり、大きな飛躍を遂げる予感がする。
|