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| アメリカ人なら誰もが一度は住みたいと憧れる都市ボストン。そこに暮らしていながら、この6カ月、私の気持ちの半分は、6年半住んだ北ミシガンに残ったままだった。 ボストン名物の路面電車、通称「T」の「ゴトゴト、ギュイ〜ン」というレトロな音を聞きながら眠りに落ちれば、決まって夢に出てくるのは、真っ白に凍結したミシガン湖。そして、しっぽの白い鹿や、白樺の皮で作った手作りカヌーだった。 待ちに待った1週間の春休みの初日。「ミシガンに帰りたい病」の私は、いてもたってもいられなくなり、デトロイトからさらに北へ飛ぶ30人乗りのプロペラ機の中にいた。ボストンからのジェット機の中では、スーツを着た乗客が新聞や本に顔を埋めていたのだが、ここでは、ピンクや青色のTシャツを着て、スノーブーツを履いた乗客たちが、雲の上でぺちゃくちゃ井戸端会議をしている。この何とも言えない隙だらけの雰囲気。これが一度体験するとくせになってしまう、コテコテの北ミシガン気質なのだ。スノッブな東海岸の人間から見たらまさに「ど田舎」そのものに違いない。 「ホーム!スイートホーム!」 後ろの席は、やはり春休みで帰省する女子大生。彼女は嬉しそうに歌い、タッパー容器に入った赤い金魚に話しかけている。 「もうすぐおうちに着くからね!」 空飛ぶ金魚にぎょっとしながら、私には彼女の気持ちがよ〜くわかった。
懐かしいミシガンにいざ帰ったら、まず行きたい場所があった。地元のネイティブ・アメリカンの語学教室だ。数千年の歴史を持ち、今でも何とか生き残っている古い古いインディアンの言葉を学ぶ場である。 オダワ・トライブという部族の言語、「初級オダワ語」講座を教えているのは、地元短大のコンピュータの教師のフレッド。実は、私はかつて、このフレッドと一緒に別の先生、ケニーの元でオダワ語を習っていたことがある。好奇心で始めたものの、クラスが終わった3カ月後には、私は習った内容をきれいさっぱり忘れてしまっていた。辛うじて覚えているのは「カヌー」と「熊」という言葉ぐらい。だから、一緒に机を並べていたフレッドが、しばらく前に正式に先生に昇格したと聞き、果たして彼がどれだけ上達したのか、この目で確かめたかったのだった。 「アニー(こんにちは)!」 長い髪を後ろで束ねたフレッドのクラスには、数人の若い学生たちがいた。みんな10代か20代の若いカレッジ・キッズだ。 フレッドはスーツケースから熊のぬいぐるみやじゃがいも、リンゴを次々取り出し、机の上に並べる。「マクワ!」。フレッドが熊のぬいぐるみを手にそう言うと、学生たちも一斉に「マクワ!」と繰り返す。 手品のように次々に小道具を使い、速いスピードで単語を次から次へと繰り出すフレッド。私は彼の言葉の圧倒的な上達ぶりと学生たちの目の輝き、そして彼らのボキャブラリーの豊富さに圧倒されてしまった。 「すごい。どうしてそんなに流暢になったの? それにみんなの熱気!」 授業の後、フレッドにそう尋ねると、彼はこう答えた。 「文法中心のいわゆるフツーの語学クラスのやり方を一切やめて、食べ物や動物の名前をビジュアルを使って教える方法にしたら、みんな劇的に覚えが良くなったんだよ。学生たちがどれだけ覚えて、実際に使うかで、この言葉が生き残れるかどうか決まるから、やっぱり覚えやすく教えないと教師としてはダメだし」
「他のネイティブの仲間に教室で会えるのが楽しみだから」とカジノで夜勤をしている20歳のロン。 「自分の子供に自分たちのルーツを教えたいから」と29歳のダニエル。 「やっぱり言葉を通して、インディアンとしてのプライドを感じるからかな」とラリー。 白人社会の北ミシガンで、ネイティブと白人の二つの世界を器用に行ったり来たりしているように見える若者たち。そんな彼らも、心の底で「自分はどこから来たのだろう」と疑問を抱き、そのルーツを探して実体験したい、という情熱につき動かされているようだった。 北極やリトアニアなど、海軍時代、あらゆる場所で働いたフレッドも、今は故郷のミシガンに根を下ろし、自分のルーツと向かい合っている。 「それがホームに帰ってくるということだからさ」 フレッドがそう言った時、なぜこの土地出身ではない自分にも、ここがたまらなく恋しい場所なのか、やっとわかった。故郷やルーツと共に生きる決断をした人たち、彼らが自分の手と頭と心で、自分たちの「ホーム」を創っているからだ。与えられる故郷ではなく、創造していく故郷。その魅力に、ヨソ者の私ですら、磁石にひきつけられるように、ボストンくんだりから、ついついふらふら戻ってきてしまうのだった。 |