|
|
ある日、ニューズライティングのクラスのシュー教授が言った。 教授曰く、「ボストニアンは、不機嫌で取っつきにくく、なかなか人を信用しないアングリーな気質だから、ヨソ者には特にきついんだ」 そう言う教授は、もちろん「非」ボストニアン。中西部のウィスコンシン大の出身だ。同じ中西部の北ミシガンの田舎で、6年間を過ごした私には、シュー教授の言葉が、身体の細胞のすみずみまで、じ〜んとしみ通るように伝わってきた。 大抵のボストニアンは、街の通りを歩いている時、ミシガン人みたいに歯を見せてすれ違う人々にニカッと笑いかけたりしない。ハンティングウエア姿で、コーヒーショップのカウンターで1日中、うだうだしていることもないし、ジムで汗を流す人同士が挨拶することも稀だ。 クルマのハンドルを握れば、クラクションをバンバン鳴らし、宝くじに当たるより貴重な駐車スペースを奪い合うボストンドライバーたち。銀行の窓口でも、店でも、地下鉄のトークン売り場でも「なめられてたまるか」という臨戦態勢のヒトの数がやたらに多いのに、最初の頃、私はいちいちドキドキしていた。 「そう言えばさ」とカリフォルニア出身のローレンが言う。 「最近、ダウンタウンのバーで派手な喧嘩があったのよ。レッド・ソックスのファンとヤンキースのファンが殴り合ってたわけ。で、あんまりひどいから、警察に電話したの。そしたら『ここはボストンです。そんな小さなことでいちいち電話してこないでください』って言われて、一方的に電話を切られたのよ!」 話を聞いて「え〜!!!!」と叫んだのは全員、非ボストン人。ボストン育ちの友人の反応は、当然「ふーん、だから?」だった。 筋金入りのニューヨーカーの知人に言わせれば「ボストンレベルで冷たいだの何だのって、何寝ぼけたこと言ってるわけ?」なのだが、そう感じてしまうのだから仕方ない。 そして、一番怖いのは、不機嫌なボストニアンに対抗しようと、知らず知らずのうちに、自らの性格が日々急速にビッチ化していくことだ。 まるで、水中で、エラ呼吸する必要に迫られた生物に、エラが生えたように、銀行でも、タクシーの中でもでも、朝から、平気で相手と喧嘩できてしまう「アングリー成分」が脳からドクドク分泌される。 「もっと近道できないの!」。そうタクシー・ドライバーに怒鳴るのが平気になる。そんな自分が心の底から嫌で、だから、またアングリー度が高まるという悪循環なのだ。
「このままでは本当にヤバイ」 ある日、クルマの保険会社と電話で交渉決裂し、「解約する!」と啖呵を切り、受話器を叩きつけた後、自分の性格破綻に、私はもう我慢できなくなった。そしてその後、すぐに南のジョージアと西のカリフォルニアに、出張で旅立った。 東海岸から遠ざかるにつれ、自分の中にできていた「なめられたらあかん」的な緊張感が、砂時計の砂が落ちるように、少しずつ消えていくのがわかった。だいたい、どーんと太い椰子の木が真っ青な空にユラユラ揺れるカリフォルニアに、不機嫌な渋い顔は全く似合わないのだ。 旅先では「私も昔はボストンに住んでたけど、脱出しちゃった」というひとたちにも何人か出会った。 「人生は短い。アングリーよりハッピーになりたかったから南に来た」「冷たくて寒い東はもうイヤ!」 「ボストンで、自分がどんどんキツイ人間になっていくのが、たまらなかったの」 あらゆる人種が集まりながら、実は各人種ごとに、モザイク状にきっちり棲み分けされているボストン。カリフォルニアのオークランド周辺で、アジア系、白人、ヒスパニック系などが同じ地域に共存して、ミックスコミュニティーを形成しているのを見た時、私は「やっぱり西に住みたい」と心底思った。 カリフォルニアがいいな。バークレーかロスかサンフランか……。一生懸命働いて、いつか椰子の木が庭に生えている一軒家を買おう。 そんな夢想をむくむく膨らませながら、道端のインターネットカフェに入り、久しぶりにメールチェックする。すると、ズーコフ教授のクラスの戦友、リサからメールが届いていた。彼女は生まれも育ちもボストンの、生粋のボストニアン。彼女の亡くなったお父さんはボストングローブ紙のエディターだったことを、私は最近彼女の弟から聞いて知った。 「ミホ、出張はどう? 帰ってきたら、ボストンマガジン用の原稿のすり合わせをしよう。チアーズ」 リサらしい、短くてさりげないメッセージ。Cheersというのは「またね!」のような意味のカジュアルな言葉だが、実は、ボストンのバーを舞台にした'80年代の人気テレビドラマのタイトルでもあるのだ。 「チアーズ」 ひとりでそうつぶやいてみた。 ボストンもまんざら悪くないかもしれないな。ちょっとだけ、そう思った。
|