第2回 「ちゃんと食べてる?」
 「で、結局どうしてここに入学することに決めたのよ?」
 エヴァンと私は、入学式の場で、お互いに同じ質問をぶつけた。
 「正直いってこの学校はベストの選択じゃないかもしれない。それでも、今の自分には、大学院で学ぶことは大きなプラスになるはずだと思ったんだ」
 エヴァンはそういった。私もまさに同じ気持ちで、迷いに迷って、入学することに決めたのだった。
 そもそも、30代後半の私が、大学出たての若者たちに混じって大学院に行こうなどと決心したのは、日本でいま大学院が「イン」だからという理由では全然なく、ジャーナリズムを学問的に探究したいから、でもなく「英文記事を徹底的に添削してもらいたい」という一心からだった。


クラスメートのデニース。北京のダウ・ジョーンズに勤めていた彼女はアメリカ人クラスメートを抜いて、この1カ月間、クラスでトップの成績を維持している。

 東京での雑誌編集記者生活にピリオドを打ち、ミシガン州のアメリカの英字新聞でタダ働きを始めたのが6年前。ミシガンの新聞社の同僚記者たちは、英語の不自由な私を熱心に手取り足取り助けてくれた。が、ローカル新聞の常で、編集長が忙しすぎて、記事を徹底的に添削してもらえる機会があまりない。記者たちも忙しいから、毎回添削を頼むわけにはいかないし、どうしようかと悩んでいた時、ジャーナリズム大学院卒のエディターから「お金はかかるけど職業訓練校的に考えるなら大学院という手もあるよ」といわれた。そのひとことが頭の片隅にずっと残っていた。
 インターンを終了してからも、満足な英文記事が書けないというコンプレックスが残り、大学院という選択肢が気になり続けた。そこで、GRE(編集部註:アメリカの学術系大学院に進学する場合に必要な適性試験)を受ける必要のないコロンビア大とボストン大を選び、この冬、願書を送り、春、ボストン大から合格通知をもらったのだった。
 ロングアイランドで新聞記者をしていたエヴァンは、ズバリ「今よりもっとマシな仕事を得るため」に、職場にサヨナラして大学に来ることを決めた。彼が働いていた新聞社で、彼が師匠と慕っていた辣腕先輩記者の記事に、ある日、広告主から横やりが入った。新聞社の社主は広告主の意向に従い、その記事をボツにした。怒った記者は辞表を叩きつけて、フリーのジャーナリストに転向。彼を慕っていたエヴァンも後を追うように新聞社を辞め、500万円以上の巨額の学生ローンを背負って、ボストンにやってきた、というわけだった。
 「自分にもっと実力をつけて、ジャーナリスト魂のあるもっとまともな新聞社で働きたい」。それが理想に燃える20代前半のエヴァンの目標だ。

 「俺、ボストン・グローブ紙で働きたい! 仕事が欲しいよ〜!誰か仕事くれ!」
 そう叫ぶのは、ドット・コム・バブルに乗り損ねたというボストンっ子、28歳のブライアン。IT系のベンチャー企業で働いていたが、リストラに遭い、ストックオプションの夢も破れた。新聞を毎日読んで仕事を探すうちに、なぜかニュース・ジャンキーになってしまい、30歳までにジャーナリストになるという目標を胸に、借金して院生になった。
 ちなみに、私たち3人の挨拶は「ちゃんと食べてる?」である。1クラス30万円以上というとんでもなく高額な学費を自力で払い、1日6〜7ドルで生活をやりくりする私たち貧乏学生たちは、授業料のモトを取ることにかけては、誰よりも貪欲だ。そう、ハゲタカのように。
 ある日、ビジネス・リポートのクラスで、ある女子学生が授業中に友人への手紙を書いていた。それをじっと見つめていたブライアンは授業後、爆発した。
 「何なんだ、あの学生は! 授業中に手紙書いてるなんて、ふざけてる!絶対に親が授業料を出してるに違いない! 俺に子供ができたら、絶対に30歳になるまで大学には行かせないぞ!!」
 「ブライアン、あんまり怒ると無駄にカロリー消費するだけだぜ」
 タフツ大学大学院から聴講に来ている別の貧乏学生がぼそっと一言。
 不景気のどん底、アメリカ。ボストンの院生たちの秋は、こうして深まっていくのであった。