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10年くらい前、香港から、経済特区のシェン・チェンを旅し、キラキラそびえる高層ビルと、路上に溢れる物乞いの人々の多さの強烈な落差に打ちのめされた。しかし、中国語ができない私は、現地の人々とまともなコミュニケーションを取ることができず、彼らの凄さもいまいちつかめないまま、ぼーっと帰ってきた。 そして今。地球の反対側のボストンで、私は若き中国人留学生たちと出会った。そして、彼らを通して、初めて「これからは中国だ」と実感した。それは、メディアを通して伝えられ、頭で納得するのとは全く違う、鳥肌が立つような感覚だった。 例えばユアン・シュアイ。29歳。タフツ大学の博士号コースで研究しているエンジニア。この原稿がサイトに載る頃には、彼は一児のパパになっているはずだ。 「中国の両親にとっては生まれてくる子は初孫でしょう。本当はすぐにでも見せてあげたいんですが、やっぱりあの悪夢の経験があると、怖くて国に帰れないんですよ」 彼が言う「悪夢の経験」は昨年の春に起きた。春休みに3週間の予定で里帰りした際、ビザの再発行に何と5カ月もかかり、中国で半年近く足止めされてしまったのだった。 「僕の専門はエンジニアリングでしょう。つまりアメリカにとってみれば、もしテロリストだったら困る人間なわけです。爆弾を作れちゃうわけですから。で、FBIとホームランド・セキュリティー省のバックグラウンド・チェックが入って、それに膨大な時間がかかったんです」 ちょうどその頃、SARSが中国を襲い、景気はどん底。さらにアメリカのアパートの部屋の家賃やクルマのローンの支払いも継続しなければならない。5カ月も研究室を空ければ、大学からの奨学金も打ち止めになるかも……。心配でたまらなかった、という。 「大学の教授と連絡を取りながら、マサチューセッツ州の議員にも連絡して、何とか早くアメリカに戻してくれ、とひたすら頼みました」 テロ後、中国人留学生がアメリカの学生ビザを取る難しさは、日本人留学生の比ではない。ハーバード大大学院に学費全額免除で受かっていても、中国の米国大使館のビザ担当官の判断で却下される例は山ほどあるのだという。しかも、中国人が手にできる学生ビザは6カ月が最長。一時帰国している間にビザが切れてしまえば、ユアン氏のように中国に「缶詰」になる確率は非常に高く、その数は600人以上。だから彼は、数年後にポスドクを終えるまで、故郷には再び戻らないと決めた。 初孫をいつ親に見せられるかわからないような状況を我慢して、なぜアメリカに留まるのだろうか? 「アメリカの博士号は中国の博士号より価値が上だからです。中国で成功するには、アメリカの博士号が必須なんです。中国のトップの連中はだからみんなこの国に来るんです」 父親が中国の大学教授という環境で育ったユアン氏は、そう言った。
ボストン大学のバイオ・ケミストリー研究室で博士号を目指すタン・ガガさんはそう言った。香港の近くで育ち、白衣姿でもオシャレを忘れないキュートな女性研究者だ。学費全額免除の彼女も中国に一時帰国中、バック・グラウンド・チェックで7カ月も足止めされた経験がある。 「アメリカ人ってね、中国を未だに未開の国みたいに思ってる人が多いでしょう。中国の多くの家にDSLのインターネットが通ってるなんて知らないし。私は逆にボストンに来て、あのガタガタの地下鉄を見て、何て遅れてるんだろうと思いました」 MIT、ハーバード、タフツ……。ボストンのどの大学の統計を見ても、理系の博士号を目指す留学生で、一番数が多いのは中国人だ。 「実験室に遅くまで残って、1年中コツコツ研究しなくちゃならないバイオテクノロジー系の研究室の場合、中国人やインド人留学生がいないと、大学はやっていけないんですよ」。ハーバード大の研究者はこう言った。実際、中国人留学生はアメリカ人留学生が休暇を取る感謝祭の日でも研究室で働いているという。 それでは日本人研究者は? 「日本人は、はっきり言っちゃえばお客さんが多いですね。日本の博士号があればいいし、泊付けのために数年研究して帰るパターンが多い。ま、我々の競争相手ではありません」と言うのはMITの中国人研究者。中国人留学生は、ポスドクを終えるまで、下手すると故郷に一度も帰れず、アメリカ人教授の元で身を粉にして働くのだという。 「中国で成功したいですから」。キラキラとした瞳でこうきっぱり言い切られると“競争相手にならない”日本人の私は「は、そ、そうですか」と言うしかないのだった。 |