第25回 ボストンからシカゴへ! ひょんなことから「移籍」の旅

 
思わず口を開けて見上げてしまう、シカゴのダウンタウンの建築美。右の建物には、シカゴ・トリビューン紙のニューズルームがある。
ことの始まりは、夏にウチに届いた一通のペラペラの封筒だった。
 うだるような暑さのとある午後、ボストニアンとはとても思えないぐらい、いつもご機嫌でハイパーな郵便配達のお兄ちゃんジムが、私宛に届いた封筒を手渡してくれた。
 実はこのジム、手紙の受取人を必ずハグするのが主義の超陽気な郵便配達員なのだ。  「フレンドリーなボストニアン」はトキ並に珍しいためか、ジムはボストン・グローブ紙から取材され「笑顔の郵便配達員」という記事で、一躍有名人になってしまったほどだ。
 私もこれまでかれこれ200回ぐらいジムとハグをしてきたのだが、30度を超す暑さの中で、配達で汗だくになったジムにハグされると、彼が握っている手紙も私も、自動的に汗でぐっちょぐちょになるのだった。

 で、すっかり生暖かくなったその封筒を開けると、中身はノースウエスタン大学のジャーナリズム大学院からの合格通知だった。
 ノースウェスタンに願書一式を送ったのは、ズーコフ教授のゼミで脂汗を流していた雪の季節だったから、半年近くも前だ。すっかり忘れた頃に、やっと返事が来たわけだ。
 それにしても、ボストン大に籍を置いていながら、なぜ他校にも願書を出すわけよ? と思われる方もいるかもしれない。本当にその通りだ。

 優等生ぶった答え方をするなら、「フリーエージェント制」で、全米で一番強いジャーナリズム・プログラムを持つ院のひとつに移籍してみたかったから、となる。
 が、一皮めくった本音の部分は、ズーコフ教授の権力の及ばない場所で、思う存分羽を伸ばして、徹底的に勉強したかった……のだ。
 もっとはっきり言えば、天敵ズーコフ教授が教鞭を取る大学よりも、ランクが上とされている大学に編入して、見返してやりたかった。
 なんてチャイルディッシュ〜!! 本当に自分でも呆れてしまう。でも人の本音なんてそんなものかも。

 「コドモじゃないんだから、もっと冷静に考えようよ、ミホ。第一、今まで注ぎ込んできた学費と労力がもったいないよ。悪いことは言わないから、ボストンに残りなさい。第一、キミは秋からのワシントンDCで政治をカバーするプログラムの選抜メンバーにも入ってるのに」
 日頃、ほとんど親代わりのように面倒をみてくれているビジネス担当のウレネク教授はこう言った。ウレネク教授は、私がズーコフ教授のクラスでもがき苦しんでいたことも、よく知っている。だから、学期末にズーコフ教授が私につけた評価が「A」だったことを知った時は、飛び上がって喜んでくれたものだった。
「もう一回よく考えてごらん」
 そう諭されてウレネク教授の研究室を出た私は、秋学期に一緒にワシントン・プログラムに参加する予定のクラスメート、デニースの携帯の番号をプッシュした。

ミシガン湖のビーチでバレーボールするシカゴニアンたち。ミシガンで6年間過ごした私にとって、ミシガン湖はほとんど「心の海」。懐かしいっす。
 デニースはダウ・ジョーンズの北京支局で働いていた中国人留学生で、ウチの大学院でもピカ一の優等生だ。どんな状況でも落ち着いていて、真面目で、料理も天才的に上手……と、私とは全然違うタイプなのだが、なぜか最初からすごく気が合ってしまい、他の学生とは話さないようなお互いのプライベートの深い部分まで打ち明けてきた間柄だった。
 「ワシントンでは、ルームメイトになって一緒に住もうよ」と言ってくれたのも、デニースだった。

 「デニース、実はね……」
 思い切って合格通知のことを話すと、電話の向こうのデニースは絶句してしまった。そしてしばらく沈黙が続いた後、こう言った。
 「本来なら、おめでとうと言ってあげるべきなんだろうけど、ワシントンで一緒に勉強できなくなると思うと、ショックで言葉が出ないよ。でも他に本当に行きたい学校があるなら、そっちを選びたいよね……」
 デニースの「本当に行きたい学校」という言葉がズンと胸に響いた。
 そうだ。本当に行きたい学校かどうか、そこが一番大切なはずだ。ズーコフ教授うんぬんや学校のネームバリューなど、この際もう全然関係ないんじゃないか?
 デニースの一言でガツンと喝が入った。となれば、ボヤボヤしている場合じゃない。幸い、タイミング良くシカゴに立ち寄る仕事が入った私は、早速現地に飛んで、シカゴと学校をじっくり見てくることにした。

 シカゴのダウンタウンから電車で約一時間。エバンストンという街にあるノースウェスタン大のキャンパスに着いて、ジャーナリズム学部の建物に入った。すると職員らしき男性が声をかけてきた。
 「学校見学の方ですか?」
 「いえ、あの、合格通知が届いたので、ちょっと寄ってみました」
 するとその男性はこう言ったのだ。
 「あれ? キミはもしかしたら、日本人じゃない?ミホ、ですか?」

  なんと、彼は私の願書を読んだ学校の職員で、私の名前やエッセイまでしっかり覚えていたのだった。
 驚きだった。超マンモス校のボストン大ではまず絶対にあり得ない。
 そして、その瞬間、私はここに転校しようと、もう直感で決めてしまっていた。
 入学後「10週間のブートキャンプ」と呼ばれる、軍隊並の怒濤のトレーニングが待っていることも知らずに……。