第3回 「ニコニコ顔のピューリッツアー賞受賞者」
「僕の昔の同僚で、マイクっていうコラムニストがいるんだけど、なかなか面白いヤツだから授業に連れて来ようか。みんな新聞社のコラムニストの話って興味ある?」
 ビジネス・リポート講座のウレネク教授がこういった。この教授、つい数カ月前まで「フィラデルフィア・インクワイヤラー」という、調査報道で有名な新聞社で、副編集長をしていたヒトなのだ(ちなみに『宇宙人と握手したワタシ!』的な、センセーショナルな見出しで有名なのがゴシップ紙の「ナショナル・エンクワイヤラー」。この二つは全く別物なのだが、ウレネク教授に「インクワイヤラーってぶっ飛んだ表紙ですよね。一体どうやってネタ探すんですか?」と聞いてしまう学生は後を絶たない)。


いい文章を書くコツは、書く前にネタを人に話して聞かせないことだというマイク。「面白い話を取材しても、回りの誰かにその面白さを話してから書くと、なぜか突然魔法のように全然つまんない記事になってしまう。だから、話したくても、我慢してパソコンに向かうことが大事だね」
「よっ!みんな元気かっああ?」
 数日後、声の大きい、体育会系クラブのコーチという感じの人が、ウレネク教授の教室に入ってきた。
 マイク・ヴィテズ。フィラデルフィア・インクワイヤラー紙のコラムニスト兼記者。40代前半。自分の子供のスポーツチームのコーチとしても忙しい毎日らしい。
「あ、そうそうマイクはピューリッツアー賞受賞者なんだよ」と教授。
 え?ピューリッツアー賞?
 ピューリッツアーと聞いて私の頭に真っ先に思い浮かぶのは、眉間に皺を寄せたハードボイルド系のシリアスな記者のイメージ。しかし、目の前に立っているのは、ニコニコふっくら丸顔の幸せそうなマイク。うーむ、このギャップは……。
「新聞社に勤めていながら、こんなことをいうとボスに怒られるけど、僕、殺人事件や銃の乱射事件があると、デスクの下に隠れたくなっちゃうんだ。どうか僕に取材に行けっていわないでくれ!って祈ってる」
 マイクはのっけからこういって学生たちを笑わせた。そして、自らをニュースジャンキーとは正反対の記者と定義した上でこういった。
「今の時代はインターネットで瞬時に情報を得られるよね。メールで誰とでも簡単に繋がったような気になる。でも、そんな便利さの中で、ひとは逆にどんどん孤独になっている気がする。ニュースはいやというほど溢れてる。だけど、ひととひとをつなぐ骨太のストーリーに、みんながこれほど飢えている時代も、今までなかったと思うんだ」

 教室がすっと静かになった。私の胸にもマイクの言葉が、ストレートにストンと落ちてきた。
 '97年、当時30代後半だったマイクは「いい死を探して」と題した連載記事でピューリッツアーを受賞した。一家の誰かが死の淵にある5家族を密着取材し、取材対象者が次第に弱り、ついに死を迎える瞬間の様子や、その時の家族の反応を克明に伝えた長編ルポだ。
 家族が患者の最期を見守る病院のICU室で、記者として立ち会い取材をする。取材対象の家族とそこまで深い信頼関係を築くなんて、並大抵の努力じゃできやしない。
 そして、この飄々としたお兄ちゃんは、その難題を何カ月もかけてクリアしたわけなのだ。
 それにしても、ひとの死という究極の状況を目の前にして、どうやって、記者という客観的な立場を貫くことができたんだろう。そう質問するとこんな答えが返ってきた。
「そこが一番つらくて、厳しくて、チャレンジングだった。いくら信頼関係があっても、僕が彼らと一緒に泣くわけにはいかない。例えば、ある父親の心臓が止まった瞬間に、彼の息子が廊下に走り出て、咄嗟に何かを走り書きした。回りのみんなは泣き叫ぶし、パニックで、誰ひとりその息子の行動を見てなかった。でも僕は息子が何を書いていたのかを、克明にメモしてた。それが僕の存在理由だったから」

 ニコニコした顔が、いつしかぐっと真剣な表情に変わっていた。
 取材対象と自分が身内や友達になってしまっては、記事は書けない。しかし、人間同士の深い信頼関係がなければ深い取材などできない。マイクのような極限状況で取材をしたことなど全くない私ですら、しばしばこのジレンマで悩んできた。一体、彼は何カ月にもおよぶ長い長い取材の過程で、相手の家族たちと、どう一線を引いてきたんだろう。
「取材対象の家族たちと、友達のフリすらしちゃいけないと僕は自分に言い聞かせてた。どんなに深くつきあっても、取材が終われば最終的にはサヨナラする関係でしょう。だったら、僕の前ですべてをさらけ出してくれた彼らにできるお礼は、全力で書く記事しかないと思ったのさ」
 うう。答えが格好良すぎるぞ、マイク。ニコニコ顔のピューリッツアー賞受賞者。しかし、その芯は、限りなくハードボイルドなのだった。