第35回 「宇宙人」な教授とエディティング・デスマッチ
「科学な」内容が数回続いたので、今回の写真は趣向を変えて「アートなシカゴ再発見」。寒風の中、デパートの前で演奏旅行の資金を稼ぐために演奏するグループ。
 「彼女は宇宙人」。科学取材班の学生の私たちは、担当教授かつエディターであるアビゲルのことを、こっそりこう呼んでいる。目が覚めるような赤毛の髪をバレッタで留め、オレンジ色のブーツに膝上15センチのスカート。黒いリキッド・アイライナーでグリグリに縁取ったキラキラな瞳で、さっそうとニューズルームを闊歩するわが教授。

 「さあ!サイエンス班のみんな、今日も張り切っていくわよおおお!」 超音波に限りなく近いアビゲルの高音の声が延髄に響くたび、「このヒトは、きっと別の惑星から来たに違いない」と思ってしまう。

 年齢はおそらく50代半ば。ファッションは日本のバブル期のOLっぽいテイスト。4人の子持ちで、シカゴ・トリビューン紙のライター経験も長く、著作も何冊かあるらしい。

 「グッド・ジョブ!」が口癖で、いつでもハイテンションなアビゲル。エディティングの遅さには定評がある彼女は、とことん粘着質である。他のチームの記者が全員帰ってしまっても、科学班の我々だけが居残って、アビゲルから記事のオッケーが出るのを延々と待つのである。

 例えば今日はこうだった。
アビゲル「あなたの記事の精神病院の正式名称はこれで正しいの?」
私「はい。広報担当に電話で確かめました。確実です!」。
アビゲル「そう。でもなんかこの名称、長すぎるわねえ〜。やっぱりもう一度確認してきてくれない?」
私「……は、はい」。
 広報に再度確認の電話を入れる。
私「間違いありませんでした」
アビゲル「そう? でもやっぱりなんか不自然な名前なのよね。そうだ。シカゴ・トリビューン紙はどう表記してるか調べてくれる?」
私「……し、調べてきます!」
 慌ててレクサス・ネクサスでトリビューンの記事を検索し、プリントアウトしてアビゲルの元に戻る。
 彼女は、コンピュータ画面上の私の記事に、凄い勢いで何かを書き足しているところだった。
 「アビゲルがエディットしている時は絶対に目を離すな」。
 同じチームのエレックの一言をとっさに思い出す。彼が書いた遺伝子操作に関する記事を、アビゲルが添削した時、事実とは異なる表記を文章中に挿入したのだという。エレックの顔は怒りで真っ赤だった。
 「エディターがわざわざ間違いを加筆していく。精魂込めて書いた記者にとってこれ以上の悪夢はないよ」

通称エルと呼ばれるシカゴの地下鉄の駅に掲げてあったアート。あらゆる人種の顔が描かれているのはシカゴの街を反映しているのかも?
 確かにアビゲルは「趣味直し」が大好き。オリジナルの文章を生かすタイプのエディターではなく、かなりの「加筆魔」なのだった。
 私たちの書いた記事は、学校の運営する通信社経由でシカゴ郊外の新聞社に送られるし、記事は全て署名記事だから、間違いは即、書いた記者本人の責任になるのである。
 「エディターが間違えたんです」という言い訳は一切通用しない。ヘタしたら、1つのミスで、キャリアがおじゃんになる危険性もアリだ。
 私はアビゲルの横にぴったり座り、彼女がコンピュータのキーを打つたびに、一文字も見落とさないよう、まばたきを必死で止め、息をごくりと飲み込んで見守った。
 2時間後。ついに「オッケーよ」の言葉をもらった。やれやれ。「これは朝一番でクライアントの新聞社に送りましょう」とアビゲル。

 そして翌朝、ニューズルームに着くと、エディティングが終わったはずの私の記事を、アビゲルが再度添削しているところだった。
 「ミホ、ここの裁判の表記なんだけど、判決をもっと具体的に書いた方がいいんじゃないかしら……」。
 えー?オッケーだったんじゃないの?と内心ガクッときた。
 が、気を取り直してアビゲルの隣で、記事を目で追っていくと、彼女の指摘は、悔しいが当たっていた。
 私が書いた判決のくだりは、言葉足らずで、読者の誤解を招く恐れが確かにある。これは書き直しだ。
 「アビゲル、何だかんだ言っても、やっぱり実力あるのかも……」。
 ハミングしながらカチャカチャとキーを打ち、判決文の要約をするアビゲルを、私は心の底で見直した。
 ふと回りを見れば、他の教授やエディターたちは、記事1本の添削につき15分ぐらいしか費やしていない。エディターの隣の席に座る学生がひっきりなしに入れ替わり、まるで原稿製作ファクトリーだ。

「フィード・ミー」。シンプルだけど、気になる作品。
 そして「エディティングが速い」教授やエディターたちは学生からの人気も圧倒的に高い。彼らと比べると、アビゲルはとことん愚直で、時間効率は度外視だ。でも、いい文章にしたい、という情熱と、学生へのコミットメントの度合いの深さは半端ではない。

 「私、最近、うちの子供達に、ママって宇宙人みたいって言われたの」
 アビゲルが甲高い声で言った。
 私たちは声を殺して笑うのに精一杯だった。スマートでビジネスライクでつき合いやすい教授たちは何人もいるけど、きっと今から何十年かして、思い出す教授は、宇宙人のアビゲルなんだろうな、と思った。