第7回 「スノッブ・エリート院生集団」ゼミに潜入
 氷点下40度という嘘みたいな記録的寒波が東海岸を襲ったその日、朝シャンした髪の毛をバリバリに凍らせて、私は「調査報道」のクラスの一番後ろの席に潜り込んだ。
 このクラス、実は、授業登録開始以前にすでに満員御礼になっていたといういわくつきのクラスなのだ。「選抜を通ったエリート学生のみの排他的スノッブ・クラス」と学生の間では評判で、確かにクラス概要には「選び抜かれた学生のみ受講可」とある。
 授業登録の日に寝坊した私は、そんなことは知らなかったし、登録して授業料さえ納めれば、誰でも堂々と授業を取ることができるのだと思っていた。大体、授業登録開始日以前にすでに満員なんておかしいではないか。調査報道。面白そうだと思っていたのに。
 「甘いね、キミも! ズーコフ教授のクラスを前に取ったことのある学生が優先的に入れるんだよ、あのクラスには。そうじゃなきゃ、徹底的に根回しするか、他の教授から推薦状をもらって提出しなきゃ入れやしないよ」
 元ビールの醸造職人で、スポーツ記者志望のボストンっ子、ブラッドがこういった。
 それってちょっとおかしくない?
 だいたい以前にその教授の授業を取っていなければ、永遠にその教授のクラスが取れないなんて理屈があるわけ? そんな馬鹿な。一応ここは民主主義の国じゃなかったっけ?
 「ま、そう熱くなるなよ。いろいろあるってことよ。ズーコフ教授はボストン・グローブ紙の大スターで、まだ若いのにピューリッツアー賞の最終候補者だったんだからさ」
 ちょっと待ってよ。スター記者だかピューリッツアー賞候補だか知らないが、大学院で教えているということは、裏を返せば、報道の最前線からリタイヤしたということではないか。本当に凄腕の記者だったら、どうして現場でバリバリ記事を書いていないで、アカデミアの森になんかにいるわけよ?
 「本が書きたいから引退したらしいぜ。とにかくあの教授に教わらなきゃ、この院で学ぶ意味がないぐらいの大物さ」とブラッド。

 なんだか猛烈に嫌な気持ちになった。そうなのだ。この院に来てから時々感じていた違和感。それは「スター記者」という肩書きにコロッとまいり、特定の教授をセレブリティ扱いにして、信者になる学生があまりにも多いことだった。もちろん教授を崇拝し、親しくなることは悪いことではない。ただ、本来、批判精神を誰よりも持つべきジャーナリストの卵たちが「この教授は有名だから」「賞をたくさん取っているから」という理由だけで、ある一部の教授を無条件に崇め、無名の教授には挨拶もしない、というヘンな階級主義が蔓延しているのが気になっていたのだ。
 「私、そのズーコフ教授とやらに会って抗議してくる」。そういうとブラッドはいった。
 「記事コピーと履歴書を忘れずに。とにかく自分を売りこまなきゃダメだ。ここはアメリカなんだからね!」
 けっ。何がアメリカだ〜。
 実際会ってみると、ズーコフ教授は、まだ40歳そこそこぐらいの若いひとだった。現役を引退するには早すぎる感じだ。
 「あの……。調査報道のクラス、すでに満員ですけど、教授のクラスを一度も取ったことのない学生は入れないって本当なんですか?」
 「残念ながらそうなんだ。人数に限りがあるから本当に申し訳ないと思うんだけどね」
 「あのー、それってアンフェアじゃないですか? みんな同じように入学して、同じ学費を納めているのに。成績で足切りとか、先着順とかならわかりますけど、教授を知っているかどうかでクラスに入れるかどうか決まるなんて、ちょっと不公平では?」
 「うー。そういわれると困るんだけど、少人数のクラスだから。もし空きがあれば知らせるから、メールアドレスを書いてくれる?」
 むむ。何だかこれでは自分を売りこみに来たみたいじゃないか。そういうつもりじゃないのに。それでもとりあえずメールアドレスを書いて教授に渡した。結局その後、何の音沙汰もないまま、冬休みが終わった。

年末年始のボストンのショーウインドーはどこでもセール。景気が回復したかのように見える華やかさの陰で、暖房のない貧しい人々が相次いで凍死した。そんな世の中の闇に光をあてるのが、調査報道の本来の目的なのだろう。
 「ねえ、明日ズーコフ教授の最初の授業でしょう? 潜り込んでみない?」
 春学期の前日、「メディアと法律」のクラスで一緒だったリサから電話があった。
 「えー。だって私登録してないよ?」
 「そんなのわかってるわよ。私だってしてないもん。でも、もしかしたら空きがあるかもしれないし。ダメモトよ。最悪はノーっていわれるだけでしょ? 失うものはないわよ」
 リサは院の学生の中でも最年長。恐らく50歳ぐらい。超ベテランだ。ボストン郊外の地元紙で働いた経験を持ち、今はスーパーのレジでバイトをしながら学生をしている。ど根性の持ち主だ。英語でいうなら「Go Getter」。虎穴に入らずんば……の典型的な行動派タイプである。
 「そうねえ……」。リサの迫力に押されて私はイエスといわざるを得なかった。登録もしていないのに「エリート」たちの集まる教室に行くなんて、全然気が進まないけど……。
 「何いってるの。あなたには実社会での経験があるでしょ! 学生のほとんどは経験ゼロなんだから、気後れすることないの」とリサ。
 そんなわけで、教室の一番後ろの椅子にリサと並んでそっと座り、とりあえず、敵の偵察だけはしてみることにした。
 すでに顔見知りらしい学生たちは、我先に発言し、噂に違わずエリート臭プンプンである。ロー・スクールみたいな雰囲気だ。
 「……というわけで、今学期の調査報道のお題は少年事件と冤罪、それからトフル試験について。いいね!」と教授。
 「え?トフル?!」。思わず声が出てしまった。
 「あれ?キミ、トフルを知ってるの?」
 トフルといえば外国人学生なら避けて通れない英語の試験だ。その昔、東京のトフルの専門学校の短期講座に通った頃の、せっぱ詰まったやるせない思いが急に蘇ってくる。
 「いや、知っているも何も、トフル受験はトラウマになってるぐらいですよ」
 そういったとたん、私はトフル調査班に組み込まれた。隣にいたリサもだった。
 「さあ、じゃ、しっかりやってね!」とズーコフ教授。その瞬間から、私たちは期せずして「スノッブなエリート」集団14人の一員になってしまったのだった。
 ズーコフ教のエリート信者集団に放り込まれた子羊2匹。私たちは果たして無事に生き残れるのだろうか?