第9回 「結婚」の定義を変えるべきか否か――ボストニアン、前代未聞の大激論

「僕のママたちを結婚させてあげて」というサインを掲げたジョッシュ君。背中のレインボーの旗はゲイ・プライドのシンボル。

 バレンタインデー間近のある日。ハーバード・アベニューの駅近くを歩いていると、20歳ぐらいの男の子が真っ赤なバラの花束を抱えて、今にもとろけそうな顔で歩いていた。おお、きっとこれから大切な人に会うんだろうな。彼の幸せオーラが伝染してきて、私までなんだかウキウキ、嬉しくなってしまった。
 アメリカのバレンタインデーは、女の子が男の子にチョコレートを贈る日ではない。恋人同士や仲のいい友達が花やカードを交換し合う日であり、さっきの男の子も、彼女に花を贈るとは限らない。相手は母親かもしれないし、もしかしたら「彼氏」かもしれないのだ。
 そんな「恋人たちの日」を目前に、奇しくも、ボストンのマサチューセッツ州議会では「結婚」の定義を巡り、大激論が巻き起こった。
 マサチューセッツ州の最高裁が「同性カップルの結婚を認める」という歴史的判決を下したのが昨年11月。このままいけば、今年の5月から同性カップルの結婚が正式に認められることになるという秒読み段階。
 「結婚は男女だけの神聖な契約だ」とする反対派は、当然この判決を何とか阻止したくてたまらない。裁判所の決定を覆すにはどうしたらいいか?そう、答えは一つだけ。法を変えるというウルトラCしかないのだ。法を作る場所は、州議会。というわけで、上院、下院の議員がさまざまな思惑をひっさげ、州憲法改正をするか否かの議論が始まった。
 「どうして愛し合っているのに、正式に結婚しちゃいけないんだ? 同性同士のカップルの結婚も、異性同士の結婚と同じとみなすべきだ」

キリスト教の牧師さんでも、ゲイの結婚擁護派はいる。「ウチの教会では、異性カップルよりも、同性カップルの結婚式の方が多い」というジョージ・ウェルズ牧師。
 授業をサボって州議会に駆けつけると、そこにはゲイ・ライツを主張するサインが所狭しと並んでいた。
 州議会の中に入ると、ゲイ・プライドのシンボルであるレインボーの旗を帽子につけた女性に会った。州のソーシャル・サービス課の職員、40歳のスー。レズビアンだとオープンにいう彼女に早速聞いてみた。
 「反対派は『同性カップルには結婚のかわりに、シビル・ユニオン(市民契約/編集部注:同性愛のカップルにも一般の夫婦と同等の利益と保護を認める制度)を与えよう』という意見ですが、これ、どう思いますか?」
 「シビル・ユニオンなんて、平等っぽい言葉でくるんだ新たな差別よ。年金や遺産の相続、税制上の優遇などを認めるのがシビル・ユニオンだと報道されているけど、みんな実情を知らな過ぎ。例えば、私の弟のパートナーがエイズで病院で亡くなったとき、弟は付き添えないと断られたのよ。どうしてだと思う? 病院は法律上の家族でない者の付き添いを認めていないからよ。何十年も連れ添ったパートナーの、死に目に会えない制度のどこが平等なの? 同じ権利を与えないで、シビル・ユニオンで我慢しろなんて、ゲイは二等市民だというのと同じことでしょう?」
 事実婚などではなく、法律で定められたホンモノの「結婚」で、異性カップルとまったく同じ法的権利と保護を得たい。それが、多くのゲイ、レズビアン・カップルの悲願のようだった。それは彼らにとっては、ロマンチック・ラブの領域を超えた切実な人権問題であり、多くのひとが「かつて黒人が白人と同じ権利を求めて公民権運動を起こしたのと同じような歴史的闘いだ」といった。
 同性結婚賛成派の多くは、若い男女で、ピアスや色とりどりの髪やヒップな服装が目立つ。しかし、よくよく見ると、中にはスーツ姿の中年男性や、十字架を持った中年女性、そして、お揃いのレッド・ソックスの野球帽を被り、手をつないでいる中年男性のカップルもいた。
 対する反対派の主流は、グレイ・ヘア(白髪)に星条旗マークの刺繍の入ったセーターを着たり、首に十字架のネックレスをしている中高年の男女が多かった。

州議会のステイトハウスの前でゲイ・ライツを訴える双子の姉妹。ひとりは私と同じボストン大で「宗教と世界の闘争」を研究する院生だった。

 「同性愛者は地獄に行きます」。
 そう断言したのは、品のいいおばちゃまという感じのエラ。熱心なカトリック信者だ。教会の日曜学級で、子供達に「同性愛は罪」と教えているのだという。
 「たとえ同性カップルが正式に結婚しても、特にあなたの生活に影響はないんじゃないですか? どうしてそんなに反対なんですか?」とちょっと挑発気味に質問すると、エラは私の肩をつかんで揺すった。
 「大ありです! もし同性の結婚が法律で認められたら、アメリカは大混乱になるの。いい?同性同士で結婚できるということは、男女1対1の自然の法則に逆らうということ。同性がオッケーなら、ひとりが10人と結婚してもいいということになるかもしれない。まさに無秩序よ。そんなの断じて許せないわ」
 予想していた以上の「濃い」、まさにカトリックな意見が返ってきたことに、私は「やっぱり」と思わずにはいられなかった。
 アメリカは進歩的な国でもあるが、同時に徹底して保守派の強い国でもある。保守派の最大派閥であるカトリック教徒たちの底力を知らないと、実はアメリカという国の本質はほとんど理解できない。
 エラのようなひとたちは、自分の信じる神の名にかけて、絶対に主張を曲げようとしないだろう。だから、賛成派と反対派の間には、ほとんど「会話」というものが存在しない。
 「愛」と「結婚」を巡る深〜い溝。それが今のボストンの現状だ。
 バレンタイン当日。
 すべての愛するカップルがハッピーに過ごせますように。義理チョコ文化から解放されたビンボー学生はつい、そうつぶやきたくなった。